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ロシア系ドイツ人がBND機密情報をモスクワへ流していた?:拡大するスパイ騒動

BND(ドイツ連邦情報局)内にロシアのスパイが潜入していた?12月に起きたカーステン・L事件は記憶に新しい。現在彼の共犯者とされているアートゥアー.Eの証言によってこのスパイ事件の全容が明らかにされる。この事件は想定よりも大規模なものである可能性が高まる。

BND諜報員がロシアへ売ったとされる機密文書:今共犯者とされているアートゥアー.Eによって一連の全容が明かされる。一体何があったのか?

2度に及ぶモスクワへの渡航の際、アートゥアー.EはFSB諜報員に接触していた。

土曜のマイアミからドイツへの帰国の際、ミュンヘン国際空港にてアートゥアー.Eは拘束された。”Spiegel”筋では、彼はフロリダでFBI捜査員へスパイ活動の報告を行なっていたとのことである。そしてドイツ側の取り調べにて、2度に及ぶモスクワ渡航の際、ロシア国内情報局FSBへBNDの機密情報を流していたことを供述した。

またロシアでカーステン・Lとも接触していたことを明かした。ドイツ側の捜査員は、E自らロシア人にBND諜報員を会わせ、内部情報を開示するよう説得していたという見解も捨てていない。

再びチップを与えなければならなかった外国諜報員

BND内のセキュリティを管轄していたカーステン.Lは売国奴として非難されている。連邦検察庁によると、こ上級諜報員はロシアへ機密情報を流していたと見られる。12月に発覚したこのスパイ事件は世界中に衝撃を与えた。:再び外国諜報員がドイツ人に重要情報を与えなければならなかった。

”Spiegel”によると、カーステン.Eは10月に2人のFSB諜報員と接触するためにモスクワを訪れていたことを、取り調べで明かしたとのこと。彼は大量のロシア語で記載された文書を所持しており、これらはFSB諜報員へ渡したものとされる。このことはアートゥアー.Eも主張している。

この文書にはウクライナ戦線でのロシアへの死者数も記載されていた?

彼はいくつかの文書を写真に収めたが、これらにはウクライナ戦線でのロシア兵の死者一覧も含まれていた。ドイツ人が情報源のものとしては、FSBが非常に興味を示すであろうものであった。だがFSB諜報員はこの文書は信憑性が低いと判断した。

11月カーステン.EはFSB諜報員と接触するため再びモスクワへ渡航した。ここでも彼は機密情報と現金を持ち合わせていた。だが彼が本当にそれを行なっていたのか疑問も残っている。Eは捜査員からの取り調べで、自分はBNDの秘密任務の遂行中であったと主張した。捜査員は、彼が純粋に潔白を主張している可能性を捨てていない。

BNDスパイ事件には多数が関与していた?

この事件は歴史上最も衝撃を与えたスパイ事件と言っても過言ではないだろう。アートゥーア・Eは空港の税関の直前で現金をある人物に手渡そうとしていた、カーステンLに。

アートゥーア.Eによると、ドイツ系ロシア人の諜報員は世界中で多くの人物に接触しており、彼はBND諜報員とは自宅のあるバイエルン郊外で知り合っている。両者はいずれも元連邦軍兵士であった。

 

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