ドイツ連邦外相アンネラ・ベアボック(緑の党)は、自らの事務所を”ビスマルクの部屋”と命名した。だがその由来は明らかになっていない。ビスマルクは政治家としてだけではなく、作家でもあったということを踏まえるといささか不可解である。
外務省の高官らは夕方を迎えると、「明日ビスマルクで会いましょう。」というが、それは今日ではもはや皮肉でしかなくなってしまった。
外務省の行政官区長らは今でも同じ大ホールにて朝礼を行うが、もはや”ビスマルクの部屋”とは呼ばれていない。新たな外相ベアボックはこの歴史的名前を削除してしまった。”統一ドイツの間”。
わかりやすい変化である。巨大な肖像画は消えた。新しい上官はビスマルクの写真を全て削除した。ドイツ帝国の礎を築き、19年に渡り首相の座についた初代外務大臣は今やどこかの地下倉庫へとその姿を消した。
ビスマルク一族は驚愕した
ベアボックがなぜこの歴史上最も影響力のある政治家の名前を用いたのかは明らかになっていない。ビスマルク一族の末裔らもこれに抗議する。
ビスマルク一族はこれについて説明した。「我々ビスマルク一族は非常に驚愕しています。」。一族の代表は、この緑の党の大臣を歴史的教養が欠如していると非難した。
政治において歴史的追憶は時として大きな道具となる
「彼女に教養が欠落していることは疑いようがありません。そもそもビスマルクについて何一つ知らないでしょう。ビスマルクは強権な政治家という側面のみならず、知的な作家でもあったということを。」。