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なぜ我々はドイツ語に誇りをもつべきなのか

ドイツ語は多くの国で習得が難しいとされている。作家のローランド・カエルブラントが自らの著書”ドイツ語愛の宣言”で神話を用いて、そしてドイツ語の起源について語る。

私たちの儚い存在の中で言語は我々を相対的に位置付けてくれます。それらの言葉や文は我々の人生に概念をもたらす。言語は私たちが考え、想像し、感じる、表現するための道具なのです。言語を通じ私たちは世界を認識し、その中に自らを置くことができます。ドイツ語もまたその特徴を持ってして我々にそれら全てを与えてくれます。言語は我々の人生を豊かにしてくれます。これによりドイツ語で自分自身を簡単に表現することができるようになるのです。100万です。そう、言語が我々に与える言葉、そして機敏でニュアンスに富んだ文章構造の中には、100万存在します!

ドイツ語を学ぶには人生は短すぎる

一方で我々はそれが困難であることを認識しています。ドイツ語が難しく、周りくどく、長くて、発音が固いとういうことでしょうか?もっとも有名なドイツ語のことわざはおそらくマーク・トゥヴァインによるあれでしょう。「ドイツ語を学ぶには人生は短すぎる」。ドイツ語が複雑で、不規則で、とっつきにくいといったことを意味しているのでしょう。だが、本当にそうでしょうか?

多くはこう思うでしょう。私が子供の頃、イタリア人の叔母が私を見て感嘆の声を上げました。「”ドイツではこんな小さい子供がドイツ語を話すの?”。私は最近やっと理解できるようになったのに。」

”ドイツ語?難しい?我々にとっては簡単?”

ドイツ語が難しいたる所以は見過ごされていません。研究所で私は、若い学者はドイツ語も習うのかといった質問を受けた。「如何せん時間は食うし、研究の時間も削られます。それよりも英語の方が大事じゃないでしょうか。」

話は変わりますが、私は東欧出身のドイツオリンピック優勝者たちと一度知り合いました。海外でドイツ語を学ぶ人は以前よりも増えています。その数は1500万人に上ります。彼女らはそれまた流暢にドイツ語を話しますが、一度もドイツに来たことがないというのですから驚きです。ドイツ語の習得は難しくなかったのかを私は問いました。すると彼女らは笑い始めて、「ドイツ語が難しい?そんなことないわw」。マーク・トゥヴァインは間違っていたのでしょうか?そして、いまだにドイツ語を話すのが難しいと感じている外国人に、同情と軽蔑を交えながら「ドイツ語、難しい言葉」と言う人は正しいのでしょうか?

 

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